自分の小さな「箱」から脱出する方法を読んでのまとめと感想

自分の小さな「箱」から脱出する方法

この本、自分の小さな「箱」から脱出する方法は、人間関係の悪化の根本原因と解消法を筋道立てて分かりやすく教えてくれる本だ。

論理的に「なぜ、そうなのか?」を解説してくれるので非常に分かりやすい。さらに、ストーリー形式なので読みやすいし、具体的な事例もたくさんあり、自分事として読むこともできたのも大きい。自分のことをそのまま指摘されているようで、のめり込むように読んでしまった。非常に素晴らしい本。

人間関係に悩みを抱えている人は、誰でも大なり小なりあると思うので、ほとんどの人にとって役立つ内容だろうと思う。(初稿:2015年2月22日、更新:2016年3月2日)

人類史上初の画期的な発見をしたある医者の悲劇と「箱」の関係

「箱」の話の前に、非常に恐ろしいストーリーが本の中で紹介されている。箱の話を知る前のピッタリのストーリーになっている。それは、そのときまで人類が発見できていなかった歴史に残る重要な発見をした医者の話だ。

異様に高い死亡率

その医者は、名前をイグナス・ゼンメルヴァイスという。1800年代にウィーンの病院で活躍した産科医だ。彼は他の医師と同様に医療の発達と患者のために、一生懸命働いていた。

ただ、彼の勤務する病棟には奇妙な現象が起こっていた。なぜか彼の病棟の患者は他の病棟や病院と比べて、患者の死亡率が高かったのだ。その数字は10%。つまり、患者の10人に1人がその病棟に入院すると死んでしまうということだ。同じ病院の別の病棟では死亡率は2%。なぜかゼンメルヴァイスが勤務する病棟だけが死亡率が異常なほどに高かった。

※数字やストーリーの流れは本の中に書かれていたものをベースにしている。他の本では数字が違っていたり、内容もちょっと違っているようだ。

なぜ、死亡率が異常に高いのか、原因不明

病院の評判も最悪だったし、患者のためにも何とか原因を解明しようと、考えられることは何でもやった。しかし、原因がなかなか分からずに時間だけが過ぎていった。

そんな中、ゼンメルヴァイスが出張でしばらくの間、別の病院に勤務することになったのだが、彼が出張後にもとの病院に戻ると、驚愕の事実が判明した。

自分がいないと死亡率が下がる!?

なんと、自分がいない間、病棟での死亡率が2%と他の病棟と同じ水準に減っていたのだ。よく分からないが、死亡率の高い原因がゼンメルヴァイスにあることが濃厚になった。自分がいたときと、いなかったときで何が違っていたのか?
それを洗い出してみたところ、一つの違いが分かった。

それは、死人の解剖、研究をやっている時間の長さだ。ゼンメルヴァイスは、彼が留守の間に代わりを務めた医師と比べて、また、他の病棟の医師と比べて明らかに死体に触っている時間が長かったのだ。今では考えられないが、当時は死体を触った手を洗わずに、平然と生身の人間の手術などを行なっていたのである。

世紀の発見と自責の念

その結果をもとに、ゼンメルヴァイスは、こう考えた。死体から生身の人間に何か見えない物質が移っているのではないか、と。そこで、死体を触った後は、しっかりと手を洗うようにしたのである。するとどうだろう。その病院の死亡率が劇的に下がり、1%を切るようにまでになった。

これが「細菌」というものが発見される前に分かった、感染症の予防方法だ。なぜ、死亡率低下につながるかは分からないが、やってみると効果があるという謎の方法だった。根拠がよく分からなかったからか残念ながら、当時は受け入れられなかったようだ。また、医者が患者を殺していたという医者にとっては認めがたいことでもあり、発見当時、広まることはほとんどなかった。

ゼンメルヴァイスにとってみれば、知らない間に病原菌をまき散らしていたということが分かってしまったということ。一生懸命、患者のために、そして医療のために働いてきたのに、結果として多くの人を死に至らしめていたのである。

箱との関係は??

これと似たようなことが「箱」についても言えるのである。もちろん、細菌のように直接体を害するものではないが、「箱」に入ることによって、自分の知らない間に人に悪影響を与えている可能性があるということだ。自分が周りに迷惑をかけ、会社組織なら会社の業績に悪影響を及ぼしているのに本人はそれに気付いていない。非常に恐ろしい話だ……。

箱とは?

では、「箱」とは何なのか? 「箱」とはいわば、自分を擁護する象徴のようなものと考えればいいと思った。

というのも、

  1. 人を人として見ずにものとして見ているような状態
  2. 自分がこんな目に遭っているのは相手のせい、自分はこんなに正しいことをしているんだからと思っている状態
  3. 自分のことしか考えていない状態

といった状態のときに「箱」に入っているという表現を使うからだ。

一方、

  1. 他人のことを考えられているとき
  2. 相手は人として扱い、本当にその人のためにと思っているとき

といった状態のときは箱の外にいる状態となる。

本ではこのような説明だけで、「箱」の明確な定義はされていない。 改めて読んだら、こちらは勘違いだったことが判明。明確に「自己欺瞞」と書かれていた……。

箱に入っていると何が起こるのか?

箱に入っているときは、簡単に言うなら相手のことなど考えず自分のことしか考えていない状態だと言える。反対に箱に入っていないときは、相手のことをしっかりと考えている状態。どう考えても前者より後者のほうが良さそうだが、では、箱の中にいるとどうなってしまうのか?

我々は、どんなタイミングで箱に入るのか?

箱の中にいるとどうなるかは、箱に入るメカニズムを理解すると分かりやすいので、まずはそれから。我々は、一体どんなタイミングで箱に入るのだろうか? それは、自分にウソをついて自分の感情に背いたときだ

では、なぜ、自分にウソをついたときに箱に入るのか? それは、もう一度、箱に入った状態を思い返すと分かる。ポイントは、我々は自分の選択を正当化しようとするという心理が働くということ。

自分にウソをついたときに箱に入る例

例を考えながらだと分かりやすいので、次のシチュエーションを例にしよう(私が男なので男性目線で)。

あなたが家に帰ると、台所には洗っていない食器が流し台を占拠しており、まな板も包丁も出しっ放しで散らかり放題。あなたの奥さんがやりっぱなしででかけてしまったのである。あなたは、片付けようかという思いが一瞬よぎるが、やめてしまった。

そのとき何を思うだろうか?

「やりっ放しででかけるなんて、けしからんやつだ!」
「なんであいつは、いつもこうなんだ!?」
「家のことなんてほとんど何もしないで遊び歩いている!」

と相手を非難するようになるのではないだろうか?

そして、自分の判断を正当化するように

「そんなヤツのためにオレが食器を洗うなんて馬鹿げている」
「なんで、オレばかりが何でも負担させられるんだ?」
「真面目に働くほうが負担が大きくなるなんておかしい。」

という具合に考える。すると、だからオレは洗い物をする必要がない、ということにつながる。

それは本当? 我々は自分を正当化してしまう

ここで考えたいのは、本当にそうなんだろうか? ということ。本当に相手が悪いから自分はやらなくていいだろうか?

だとするなら、初めに食器類を洗おうという選択肢は思い浮かばないはず。なぜ最初にそう思わなかったのか? 一瞬よぎった片付けようという考えは何だったのか?

最初は片付けようという気持ちがあったということは、それが本当に思っていることと言えないだろうか。その気持ちが変わってしまったということだ。

最初の気持ちを素直に認めずに自分にウソをつくと、人はそのウソを正当化し始める。自分が思ったことが正しいという証拠集めをし始めるのが人間の心理としてあるからだ。

現実が曲がっていく

自分にウソをつくと、無理に正当化する理由を探すことになるので、だんだんと現実を歪曲して見るようになってしまう。人は、過去の記憶を自分の都合のいいように書き換えてしまうというが、それと似たような働きなのかもしれない。

結果、自分は悪くないとなり、自分以外に原因を押しつける形になる。自分は正しいのに相手が間違っている、と。だから自分の行動は悪くない、と。

これが繰り返されると、自分にウソをつくというステップを飛ばして、現象が起こったら短絡的に自分は悪くないという考えになり、箱に入るというような条件付けがされてしまい、自覚がなくなっていく。

箱の中に入っているとこうなる

箱の中にいると、自分は正しくて相手は間違っている、相手は自分にやっかいごとを招く物というような考えになってしまい、それが言動に現われる。使っている言葉の端々にも出るし、その人の態度や声のトーンにも現れる。文章ならその行間に現れる。言葉を発さなくても、何となく感じる感覚によって相手に伝わってしまうもの。

人は敏感に感じ取るわけだ。表面上は見えなくても、本人は分かっている。あるいは、本人に自覚がなくても、どこかしら違和感を感じていたりして、やがて何かしらの形で噴出するんじゃないかと思う。

相手が悪くなければ自分がダメになるという理屈

そしてやっかいなのは、相手が悪くないと自分が正当化されないという点だ。どういうことかというと、相手のせいで今の自分の気持ちがあるとみなしているので、相手が悪いままでないと自分が正当化されないのである。相手が悪いから自分は正しいと考えるので、相手が悪いという前提がなくなると、自分が正しいという根拠ががなくなり、都合が悪くなるというわけだ。

なので、相手をなじるようなことをしてしまい、相手が悪いということを強調する。すると、相手もそれに反応して躍起になる。箱の外にいた相手も箱の中に入って自分を擁護するようになる。自分も相手も、お互いがお互いを攻撃し合って、相手が悪いから自分は正しいという、自分たちの正当化合戦が繰り広げられることになる。結果、より箱の中にとどまることになってしまい、負のスパイラルに陥る。

箱から出るには?

箱に入ると、自分のことしか見えなくなり、人間関係がどんどん悪化していく。やっかいなのはそれに気づかないこと。問題を問題と認識できていないのは最もやっかいなことだ。問題と思っていないものを改善させるなんてできるはずがないからだ。

では、どうしたら箱から出られるか?

まずはこの「箱」という概念を知ること。すると、自分が箱に入っていることを認識できるようになる。箱に入っていると分かって初めてどうやったら箱から出られるようになるのか?が考えられるようになる。

その答えは、箱に入るメカニズムが理解できていれば、簡単に分かる。箱に入るのは自分にウソをついたときだった。であれば、箱から出るには自分に正直になり、相手を人として扱うことだ。

相手を人として見ての言動と、物として見ての言動とでは、表面はたいして変わらなくても、結果は全然違ってくる。厳しい話をしても、愛を持って人として接しているのか、もの扱いしたただの罵りなのかは、人は敏感に感じとるもの。

また、たとえ相手が先に箱に入ってたとしても、自ら先に箱から出る必要がある。相手が箱から出れば……と考える時点で、原因を相手のせいにしているのだから。自分にウソをついたから箱の中に入ってしまい、相手のせいにしているに過ぎない。

まとめ

我々は自分にウソをつくことで箱に入るようになる。慢性的な場合、自分にウソをつくというプロセスを経なくても、ある現象が起こったら箱に入る、というように条件反射になっていることもある。

箱に入ると、自分のことばかりを考え、相手を人としてではなく、ものとして扱うようになる。自分を正当化し、相手が悪いと非難する。それを相手は敏感に感じ取って、箱の外にいたとしても、自分を擁護するべく箱に入ってしまう。そして、お互いが攻撃しあうようになってしまい、泥沼化していく。箱に入ったままでは、人間関係が悪くなることはあっても良くなることはない。

箱から出るには、相手のことをしっかりと考え、人として扱うようにすること。原因を相手に押しつけないようにする。

感想

前から存在は知っていたが、なぜか手を出そうと思わなかった本。それが、不思議な力に引き寄せられるようにして読むタイミングが訪れた。珍しいことに図書館で借りてきた本でもある。大学時代に学術書を借りたのを最後に図書館で本を借りるなんてずっとしていなかった私にとってそれも驚きだった。

不思議なできごと

その日はやたら図書館に行った日で、その図書館は3館目の図書館だった。何度か行ったことがある図書館で、その図書館に行くと、私はいつも二階の席に座ってパソコンを開く。席はだいたい決まっていて、階段を上ったら右に進んで席に座るのが通例だった。だが、なぜかその日は階段を上ったら左側に行こうと思い、いつもとは逆の方向に進んだ。

本棚を見ながら席まで歩いていると、一冊の黄緑色の本が目にとまった。その一冊こそが「自分の小さな「箱」から脱出する方法」だ。不思議なもので、その前の図書館にも、その前の図書館でも目にとまらなかったのに、その図書館では目にとまった。

ふとわき起こってきた感情

違いはといえば、3館目の図書館に行く前に、一度家に戻ったことくらい。家でくつろいでいたときに、ふと他人への感謝の気持ちがわき起こってきたのである。なぜそうなったかはよく分かっていないが、なぜか、家族のことを思って感謝の気持ちがわいてきて、涙まで出てきた。

その後、図書館に行ったら、いつもと違う道に惹かれることになり、本を見つけた。何とも言えない不思議な感覚だった。

本はタイミング

おそらく今だからこそ、理解ができた本だろうと思う。いくら良い本でも機が熟していないタイミングで読んでも、理解が進まないことはある。例えば、ザ・ゴールという本もそう。社会人になり立ての頃に読んだときは、ただの工場の本だと思っていた。しかし、実はもっと深い本だということに後になって気づいた。

同じ事を別な角度で

人を人として見る、相手のことを本当に思う。当たり前のことだが、なかなかできないことがある。つい自分を優先させてしまうのである。どんなときも問題を招いているのは、結局自分自身だということなのだけれど。

その「全ては自分が元になっている」ということをロジカルに、ストーリーを通して教えてくれる本書は非常に分かりやすく自分事として捉えられ、素晴らしいと思った。

常に「箱」に入らずに生活することは人間である以上、現実的には無理かもしれない。でも、「箱」という概念を知っているかどうかで、問題点に気付けるかどうかが変わってくる。

問題を人間関係に集約させていくところは、アドラー心理学にも通じるところがあるなと思えた。
【簡易図解】図にしたらアドラー心理学本を読んで理解出来なかったことが分かってきた| IDEASITY

突き詰めていくと同じ答えになるということは、つまり、本質的なことだということだ。

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