DeNA南場さんがヘルスケア事業をやる理由と好きをビジネスにするための3つのポイント
先日、グロービスにてDeNAの南場さんが話した内容を読んだら非常に面白かった。自分の情熱を持てるような好きなことをビジネスにしたいと思える人に役立つと思うので、南場さんの話をもとに思うことを書いてみた。
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大でスピーチした、点と点がつながるというのはこういうケースもあるんだなと思えたのも面白かった。
目次
DeNAの南場智子さんが取り組む「本当の」ヘルスケア
さて、DeNAといえば、どんなイメージをもつだろう?ゲームで一躍有名になった上場企業なので、ゲームという印象が強いだろうか?最近ではプロ野球のベースターズのオーナーとしても有名になっているかもしれない。あるいは、DeNAといったら、創業者の南場さんが脳裏に浮かぶ人も少なくないだろう。
今、DeNAの創業者でもあり、経営陣に復帰した南場さんが力を入れているのが「本当のヘルスケア」だ。
本当のヘルスケア、というのは、社会保険を初めとして日本のヘルスケアの実体は、病気のケア、つまりはシックケアであって健康のケアをしているわけではないから。
なぜ、南場さんがヘルスケアをやっているのか?
なぜ、これまでのDeNAでやってきた事業とは一線を画しているのか?(事業内容ではない部分での違い)
ということを中心に書いていきたい。
南場さんがDeNAの社長を退任して気付いた重要なこと
南場さんは2011年にDeNAの代表から降りている。退任の理由は、旦那さんにガンが見つかり、その看病のため。
上場企業の社長という立場もあるし、120%全力投球しないと目標としている会社の発展はない、そう考えていたようで、相当な決断だったようだ。
南場さんの決断の裏にある背景
南場さんは大学卒業後にマッキンゼーに入って、平日の睡眠時間は2~3時間が当たり前という生活をしていたそうだ。旦那さんもマッキンゼーで見つけた相手だそうで、2人とも仕事漬けの毎日を過ごしていたそうだ。
DeNAの起業後も、南場さんはマッキンゼー時代のように馬車馬のように働いていた。旦那さんも似たような状況で、睡眠時間は短く、長時間労働、移動はタクシーで普段も運動はしない、食事は100%外食。なので、振り返ると病気になるのは当たり前だったのだが、それに気付かなかったそうだ。
気がつくと、旦那さんはガンにかかっていた。
他と事業との最も重要な違いは、南場さんの内側にある
2年間にわたって旦那さんの闘病生活を支え、DeNAに復帰した南場さんが今、最も力を入れているのが、ヘルスケア事業。冒頭にも書いたようにシックケアではなく、ヘルスケアだ。病気になってからでは遅いので、病気になる前にどうしたらいいかということを中心とした事業。
このヘルスケアの新規事業の立ち上げは、これまでの事業の立ち上げとは違った思いでの立ち上げだった。例えば、ビッダーズというオークション事業はビジネスとして収益が上がると思ってのスタートだったが、ヘルスケアの立ち上げ理由はそうではない。
内側からこれをやらないという思いがあっての立ち上げだそうだ。
南場さんの言葉を引用するとこう。
「自分がやっておかなければいけないことだ」と、内から沸き起こる強い気持ちを初めて感じていた。もちろん私は事業家であって経営者だから、そこできちんと、事業として成功させなければいけない。ただ、最大のモチベーションは、「病気になる前にケアする社会をつくりたい」という個人的な強い思いだったと言える。
内側からわき起こる思いを元にしたビジネスが最も力の入るビジネス
全文を読んだときに、後半から読み手である私の気持ちが変わった。前半はDeNAの話で失礼ながらそこまで関心はなかったが、後半の思いを話し始めるあたりから、文章を読んでいても気持ちの変化が感じられた。ヘルスケア事業そのものにはたいして関心がなかったにもかかわらず。
現場で話を聞いてはいないので、何とも言えないが、南場さん自身も気持ちの変化があって場の雰囲気が変わったんじゃないかと思う。
私は、以前、遺伝子検査のキットを注文して遺伝子情報を調べたことがあるが、その前にこの話を聞いていたなら、DeNAのMYCODEを注文していただろうと思う。
思いの力が、自分の意識も他人の意識も変えるということだと思える。
スティーブ・ジョブズの言う点と点がつながった瞬間
南場さんがヘルスケアとして注目しているのが遺伝検査。遺伝子を解析することで、その人がどんな病気にかかりやすいのか?といった個人個人のケアができるようになるからだ。病気になる前に何をしたらいいかが分かるのだから、病気も防げるという話。
ヘルスケアは素晴らしいのだが・・・
ただ、ここで問題なのは、人間は痛い目を見ないとなかなか動かないということ。健康に良いと言われても、病気の予防になると言われてもなかなかそれをやらない人が多いだろう。例えば、運動。食生活など。ましてや、予防のために何かを継続するなんてのはもっと大変だろう。
南場さんですら、健康を害するような生活をしていることなんて分かりきっているのに、そのままにしていたわけだし、自分自身もそう。
習慣を変えるのは難しい
それに、仮に予防のために健康に良いことをしたとしても、それが一時的で継続しなければ意味はない。
なんといっても日本人の死因の52.4%を占めるのは、ガン、脳血管疾患、心疾患であり、それらは「生活習慣病」という名前のとおり、生活習慣が病気の原因になっている。
(日本人の死因の数字はwikipediaより。ソースは厚労省の平成24年度の数字)
だから継続的に健康に良いことをして生活習慣を変えないと重大な病気は防げない。
ゲーム事業が・・・
そこで役立つのが、DeNAのゲーム事業だ。ゲームはつい熱中してやってしまうものの典型例。そのゲーム事業で培った、人が継続してしまうような仕組みがヘルスケアにも活かせるということだ。
南場さんも、まさかゲーム事業のノウハウがこんな形で役立つとは思わなかっただろう。実際にどう活用できるのか?はまだ分からないが、まさに、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学でのスピーチで語った
「点と点がつながる」
ということが起こったように思える。
無駄なことがあるんじゃなくて、無駄にしている自分がいるだけ
ところで、私はゲームが好きではないので、あまりやらない。スマホでゲームをしている人はたくさんいるが、ほとんどやったことがない。脱出ゲームを前にいくつかやったくらい。理由は、時間を無駄にすると思っているから。
やれば楽しいのだけれど、中毒になるとやっかいなので、やらないということ。他人がゲームをやっているのを見ても、時間を無駄にしていると思っていた。小中高とゲームばかりしていて後悔しているのも影響しているかもしれない。
ただ、南場さんのおかげで、ゲームなんて百害あって三利くらいと思っていた考えが変わり、考えようによって何とでも活用できると思えた。(もちろん、やり過ぎはよくないけれど)
南場さんが言うように人が何かを継続したくなる要素がゲームにはあるのだから、それが何かに役立つというのは、確かにそのとおりだし、ゲームは人に楽しさを提供しているといのもそのとおり。
ゲームを別な観点で捉えられるようになると、子供の頃にゲームを一生懸命にやっていたからこそ、増えた知識はあるし、後から役に立ったこともあると思える。
意外なところで役に立っていたゲーム
例えば、格闘ゲームのカタカナで名付けられた必殺技の意味が気になって、スペルを予想して辞書で調べて覚えた英単語がある。今でも覚えている。おかげで、英語の読みからスペルを予想するスキルが少しは身についただろうと思う。
また、
何で、ドラクエのメタルスライムの守備力は1023なんて中途半場なんだ?
何で、ドラクエの力や素早さというパラメータは255が限界なんだ?
何で、スーパーマリオで1upを繰り返すと数字が英語になったり、増やしすぎると1回死んだらゲームオーバーになるんだ?
という疑問の答えが後から分かったことも役に立ったことと言えるかもしれない。
プログラミングへの理解や興味が深まり、会社員時代にソフトウェア設計のスキルが深まったと思うから。子供の頃は自分では何をどうやったらあんなゲームが作れるのか想像できない遠い世界だったのが、自分でもある程度知っているんだと思えたのは、大きなことも意外と自分でできるかもしれないというちょっとした自信につながったように思う。
もっとプラスになったのは、自分はこういうことに興味を示すんだということが分かり、自分を知る材料になったこと。
無駄なことがあるんじゃなくて、無駄にしている自分がいるだけ
結局、無駄なことがあるんじゃなくて、無駄にしている自分がいるだけなんだと思うようになった。
今までやってきたことを後悔しても何も変わらないが、どう活かすかを考えれば何かプラスになることだってある。
まとめ
ということで、ビジネスを推進させるポイントとして以下の3つがあると思えた。
- 内側からわき起こる思いを元にしたビジネスが最も力の入るビジネス
- 点と点がつながると信じる
- 無駄なことがあるんじゃなくて、無駄にしている自分がいるだけ
最後に
限りある人生を最大限に生きるには、自分のやりたいと思うことをやるのが一番だと思える。ただ、これまで好きなことをやってこなかったとしても無駄ではないはずだ。あなたのやってきたことも自分がやってきたことも、これから何かと結びつくことがあるかもしれない。ただし、一生懸命にやったかどうか、という条件はあるかもしれないが。
なお、確実だとは言えないが、好きなことをしていると、何か奇蹟のようことが起こることもある。私の好きな神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、神話の力という本の中でこんな話をしている。
至福を追及しているとき、何か隠れた手に助けられているように感じたことはありませんか?
しょっちゅうですよ。
実に不思議ですね。
いつも見えない手に助けられているものだから、とうとう一つの迷信を抱いてしまいましたよ。
フローに乗ることが出来るようになると、自分の至福の領域にいる人と出会うことになるのです。
その人たちが私のために扉を開いてくれる。
心配せずに自分の至福を追及せよ、そうしたら、思いがけないところで扉が開く・・・と私は自分に言い聞かせているのです。
神話の力(ジョーゼフ・キャンベル著、モイヤーズ・ビル著、飛田茂雄訳、早川書房、2010年)より